人生なんて。

極論。いや正論?

人生は暇つぶしだと本気で思っています。

色んな偉人の方もおっしゃっていますが、本当にそうだと思うのです。

暇つぶしじゃないとしたら何なんですかね?

暇つぶしなのに嫌々仕事しますか?

嫌々スーツ着ますか?

嫌々満員電車乗りますか?

僕は嫌です。絶対に嫌です。

まあだから定職ついてないってのもありますけど。笑

同じ場所、同じ仕事仲間、同じ、同じ、、、

嫌気が指しますね、嫌です、無理です。笑

人生は僕だけのものです。

誰にもあげません。笑

誰かのために、なになにのために自分の人生を犠牲にしたくありません、断固拒否。笑

まあ気楽にいきましょう、人生は暇つぶし。

失敗しようが成功しようが、栄光だー名誉だー死んだら終わりです、the END。笑

なら好きなこととことんやってから死にたくありませんか?

僕はそうしたいのでやりたいことやりつくします。笑

あなたがどうするかは知りません。

後悔しない生き方。

後悔しないように、後悔しないように。

まあそう思ってる時点で後悔してしまうのかもしれません。

後悔しない生き方とは何なのでしょうか?

会社で出世すること?

結婚して子供を授かること?

家族のために働くこと?

残念、違います。

自分の人生を歩んだ人です。

人は学校を卒業し、就職、結婚、子供を授かる。

という一連の流れをすると、立派!だとか、幸せ!とかいいます。

果たしてそうなんですか?

亡くなる寸前の人が、後悔する共通点、ほとんどの人がいうこと。

それは、「自分に正直に生きればよかった」だそうです。

つまり、自分の人生を歩むということ。

例えば僕は、高校卒業したら、吉本興業の養成学校に入学しました。

それは何故か?

お笑いが好きだから。

人を笑わせたいと思ったから。

周りは就職したり、大学にいったり、はたまた、結婚した人もいました。

周りからは「道外れたね」とか散々言われましたけど、劣等感とかそんなものは全くありませんでした。

やりたいことをやっていたから。

現に今、僕は、ネットシネマゴールデンエッグというプロジェクトに参加し、役者、俳優として頑張ろうとしていたら、パーソナリティやディレクターをしています。

毎日が新鮮で楽しいです。

もう一度自分の心に問いかけてください。

「これで人生終わっていいのかな?」と。

夢を笑う人へ。

まあ僕も周りからは「夢に向かって頑張ってね!」とか「夢があっていいよなー若いな〜」だとかいわれる。

うん。

黙れ。笑

なにが頑張ってだの夢があっていいよなーだ。

別に頑張ってるつもりもない。

夢だとも思ってない。

頑張っていないというのは、自分がやりたいと思ったことをただやっているだけ。

こうやってブログを書いているのもやりたいからやってるだけ。

自分が色んなことに迷い、全く知らない人のブログを見て元気になったことがある。

俺もそんな元気づけられるブログを書きたいと思ったから。

大した理由はない。

例えばハンバーグが好きだとしよう。

ハンバーグ好き!

だから食べる。

そんなことしかしてません。笑

夢があっていいってそのいったやつも夢の一つや二つあったんじゃないの?

若いからなの?

関係なくない?

40になってから遅いの?

夢追うのに年齢関係ある?

ないよ。

ただ逃げてるだけ。

自分にはできない。

そう勝手に思っているだけ。

自分で自分の可能性を無くしてるだけ。

そうやって定職について安定してるだけ。

そんなやつらに応援されたりしたら、逆に腹が立つ。

中にはそうやって人と違ったことをしてる人を、見下して、「そんなのできっこない」だとか「現実見ようよ」とかいうやつもいる。

できっこないってお前に俺の何がわかる?

何十年先の俺の未来がわかるの?

現実ってなに?

普通ってなに?

毎日満員電車に乗って、上司とかにぺこぺこして、満員電車で帰ってきて、クタクタのスーツを脱ぐのが現実?普通?

そんな現実や普通なんていりません。

そんな嫌々仕事したくないです。

今の日本は別に正社員という定職に就かなくても、全然生活できます。

無理に正社員じゃなくていいと思います。

話が逸れましたが、夢を笑う人を俺は笑い見下してます。

そうやって嫌々仕事をして人生終わりにしてください。



ふと。

ブログを書きたいと思ったので作ってみました。


まずは自己紹介から。
静岡県沼津市出身です。
24歳の元芸人の、俳優目指してたり、パーソナリティしてたり、渋谷のラジオのマネージャーをしてたりする男です。
これから空いた時間に色々記事にしていきたいと思います。
時間ある方良かったら読んでいってください。

自分の経歴。

経歴を語ります。笑
長いですよ。長いです。笑


高校を卒業後、吉本興業の養成所、NSCというお笑い学校に入学。
NSC35期生として、芸人としての道を進みます。
35期生でいうと、ゆりやんレトリィバァと同期でした。最近じわじわ売れてるガンバレルーヤとも同期でした。
2組とも全く接点ありませんでしたが。笑
高校時代ネタを150本くらい作り、自信満々でいきましたが、お笑いの厳しさと現実を目の当たりにして、すぐ挫折します。笑
僅か半年くらいで辞め、実家に帰りました。
へなちょこですね、今思えば。笑
そして実家が床屋さんという理由で、床屋さんになろうと、次の年に東京に行き、専門学校に入学。
適当に遊び、専門学生時代を過ごしました。
そして2年後、就職。
しかし、元々皮膚があまり強い方ではなかったので、すぐに手が荒れます。
就職してすぐなんて、シャンプーしかまともにできません。
まあシャンプーも対してできませんでしたけど。笑
そのシャンプーが原因で荒れてしまうんですねー。
そしてふと考えました。
「こんな手荒れしてまで、することなのかな?」と。
床屋さん、美容師の最初は、手が荒れる人が多い業界です。
それは仕方ない。
でも待てよ?
手が荒れるのはよしとしよう。
俺このまま、床屋さんで死ぬのかな?
なんて考えました。
勿論床屋さんで何十年もやってるベテランさんはすごいし、素晴らしいです。
でもそれで人生終わっていいのかな?
芸人してた時の方が、お金はなくて上手くいかないことばかりだったけど、生きてるって実感あったなあとか、芸人してた時のが、楽しかったなあと。
僕はその自分の直感、気持ちを大切にし、悩んでた次の日に、退職届を出します。
「そんなすぐ退職届だして!バイトじゃねんだぞ!社会人らしくしろ!」なんて周りから冷たい目でいわれそうですが、全っっっっっく気にしません。
社会不適合者?それでオールオッケー、オッケーオッケー。笑
自分の人生をそんなよく分からない会社、企業に捧げたくありません。
やりたくないからやらない。
それだけです。
以上。笑
なんていった、ひん曲がった僕です。笑
そして、床屋さんを辞めた僕が、まずしたこと。
また芸人活動を始めます。笑
懲りないですね。笑
事務所に所属せず、フリーの状態でピン芸人として舞台に立っていました。
そんな時に、吉本の同期だった、同じマンションに住んでいた数少ない友達から連絡。
「また芸人始めたん?俺とコンビ組まへんか?」
そういわれました。
なんでまた芸人始めたことを知っているのか謎でした。笑
ですが、ピン芸人として舞台に立っていましたが、1人でのネタに限界を感じていました。
これはいい機会!と思い、承諾します。
しかし。
「でも色々あって東京行くの1年後やねん。1年待ってや」
ハァァァァァ!?!?!
色々ってなんやねん!!!とつっこみたくなりましたが、当時の僕は何故が承諾。笑
そしてこの1年は準備期間と自分の中で決め、舞台に出るのを辞め、バイトをしながら、ネタを書いたり、どうしたら世に出れるかを考えていました。
そして1年経ちそうな時に、コンビを組む友達から「もう少しでそっちいくからな!頑張ろな!」といわれました。
でもなんか詰まる所がありました。
コンビ組んでいいのかな?
待てよ。
1年近く舞台に立たず、芸人活動をしてなかったせいか、芸人の気持ちが薄れていました。
「なんかコンビ組んじゃダメな気がする」
そう思った僕は、「ごめん、お前とはコンビ組まない。」といいました。
色々説得されましたが、自分の気持ちを曲げず、組みませんでした。
その後、またピン芸人として舞台に立っていました。
しかし、ふと、「なんかもー普通に働こうかな。」と思いました。
そして急に、就活をスタート。笑
でもろくに就活なんてやったことないから、右を左を全くもって分からない。
まずはスーツをクリーニング、ビジネスバッグ、マナー。
就活って大変だなと。笑
そして色々受けるも、全てダメ。笑
あ、就活してる人ってこんな気持ちなんだなー。と。笑
自分を全否定されてる感じで、脱力感が半端じゃない。
就活に失敗して自殺する人もいるくらい。
どうしようと考え、あ!実家床屋じゃん!実家戻って床屋やればいいじゃん、免許はあるんだし!という安易な考えでさらっと、実家に帰り、また床屋さんとして働きます。
暇な時は実家だから寝れるし、楽できるやん!というクソみたいな考え。笑
働いたはいいが、沼津市というところは、まー何もない。笑
大阪、東京と、都会都会と住んでいたので、何もなく、遊ぶところないじゃん!となっていました。笑
週末には地元の友達と銭湯に行き、ご飯を食べ、キャバクラ。
これが週末のお約束みたいになっていました。笑
楽しい。
楽しい。
でも週末しか楽しみがありませんでした。
でもその週末もマンネリを感じました。
楽しいです。
楽しいんですけど、どこか刺激や物新しさを感じない。
このまま死ぬのかな。
とまたこんなことを考えてしまいます。
そんなある日、おばあちゃんと些細なことで喧嘩します。
実家はおばあちゃんとお母さんと僕で働いていました。
おばあちゃんは歳も歳なので、休憩しなければいけませんでした。
お昼休憩に入った時に、新規でお客さんがやってきました。
僕はお母さんがカットするのかと思いました。
アイコンタクトすると、僕がやれと、顎をクイっと。
自信がなかったのですが、これはチャンスだ!と思い、僕がカットしました。
ワックスをつけ、整えると、お客さんは気に入ってくれて、一安心しました。
そんなある時に、最悪なタイミングで、おばあちゃんが戻ってきました。
そうすると、僕がカットしたヘアスタイルを見て、おばあちゃんは何も言わずに、ハサミとくしを持ち、手直しを始めました。
暗黙の了解?みたいなもので、カットした人が最後まで責任持ってやるというものがありました。
違う人が手直しをするのはご法度でした。
僕は「勝手にやめて」といっても、辞めずに、手直し。
この床屋さん、美容師の業界は、職人職ともいわれます。
おばあちゃんはベテラン。
僕は1年目の新米。
1年目のカットが気に入らなかったのでしょう。
でもお客さんは嫌な顔していました。
僕はそのお客さんの嫌な顔が嫌でした。
なのでおばあちゃんを押しのけ、お客さんを外に案内しました。
外でお客さんに事情を話しました。
お客さんは苦笑いしながら、帰っていきました。
「もう絶対来ない。」と僕は悲しい気持ちになりました。
店に戻り、おばあちゃんに怒りました。
しかし、おばあちゃんは「あんなヘアスタイルで返したら、うちのお店のブランドが傷つく!」と。
そうやって喧嘩を繰り返していると、おばあちゃんが店から出ていきました。
すぐ帰ってくるだろうなと思っていましたが、全く帰ってきませんでした。
お母さんの姉がいるのですが、姉のところへ行っていました。
おばあちゃんは僕を悪く姉にいっていたみたいです。
姉はおばあちゃんが自分の味方になったのをいいことに、おばあちゃんのお金を全て奪おうと企み始めました。
実家はおばあちゃんが立てた家。
実家までもお金に変えようしていました。
ですが、おばあちゃんは歳も歳か、同じことを何度もくりかえし、認知症の疑いが高いとのこと。
悲しいですね。自分の家族がそうなってしまうのは。
そしてまさかの姉は裁判を起こします。
、、、あのただの家族喧嘩ですよ?
ただの喧嘩が裁判ですよ?
お金は大事です。
ないといけないものです。
でも妹の母親と俺までも蹴り落としてまで、お金がほしいのか?と。
お金で人は変わるとよくいいますが、それをすごく痛感しました。
働いていても、弁護士やら法律がなんたらで、郵便物だの電話が度々きました。
姉と姉の旦那がいきなり乗り込んできたこともありました。
まさか24歳でこんなことを経験するなんて。
当時の僕はもー全てどうでもよくなっていました。
なんでこんなことにならないといけないのか。
なんでこんな目にあわないといけないのか。
自暴自棄になり、このまま死んだ方が楽だなーとか考えていました。
それくらい精神的に、心にゆとりが全くなかったんです。
ここにいたらだめだ、自分が壊れてしまうと思い、引っ越すことを決めました。
しかし、貯金は全くありません。
母親に金よこせ!と暴力をしてしまいました。
だめだとわかってはいます。
でも本当にその正常な判断ができないくらいに、自分は追い詰められていました。
母親にはほとんど言わず勝手に、家を出ました。
しかし、東京に住むことは決めてはいましたが、なにをするかは全く決めていませんでした。
でも芸人していた時の、新鮮味や、楽しさを求めて、また芸人をします。
まあ上手くいかないこと上手くいかないこと。笑
待てよ?
芸人で世に出るより違う方法で出た方がいいのでは?
著名人もそういっている方もいるので、違うやり方で世に出ようと企みました。
その第一歩が俳優です。
俳優だけに留まらないで、楽しいこと面白そうなこと全部やろう!そう思い、音楽番組のパーソナリティをしたり、渋谷のラジオのディレクターをやっているわけなんですね。
といった経歴です。笑